母のお友達との約束
今年に入りまして 直ぐに母の50年前の会社の同僚からお電話がありました
もしもし?くみちゃん?
私はその方を覚えていました
50年前 母親は生命保険の外交をしており その時私は四~五歳の幼稚園児でしたが 友人として私の家に来られ
あなたがくみちゃんね 宜しくね
そう言って笑顔で私の荒れた手を握って下さった人
まさにその方だったのです
その友人の方は こう切り出されました
くみちゃん
お母様はお元気?
母は入院しています
じゃあお見舞いに行きたいの
分かりました
では 父の月命日に車で帰りますので お連れ致しますね
そうお伝えしましたら その方は大変喜んで下さっていました
当時は生命保険の仕事は営業といわず
外交と言っておりました
私の母親は 仕事が忙しいと言い 子育ては一切関与せず
前にもブログに書いておりますが 母は自分の装飾品や衣類購入だけの為に遊びで外交に出ていました
孔雀と化した母親は 香水の香りも強く 姿を見るだけで憎悪が走ります
そんな映像が この方と話していてフラッシュバックしてしまいました
…
年賀状を頼りに 母の友人のご自宅を探しました
上京区下長者町
京都らしい地名です
近くに車を止め その方のご自宅を探していますと 前方に杖を着いて歩かれるご婦人を発見
白髪のそのご婦人は まっすぐ私を見て
くみちゃん?
そう呼んで下さりました
この方は50年前の私しかご存じないのに 現在の私を見つけて下さりました
私はこの方のお優しいお声と笑顔を覚えていましたので 直ぐに分かりました
お体の悪い中 私の母に会いたい
そんな思いを叶えてあげたい
私は数ヶ月ぶりに母が入院する病院へ向かいました
母の病室にご案内しますと…
吉田さん
50年ぶりね…
私 もう88歳になったのよ
ずっとお綺麗なままね
懐かしい 本当に懐かしい…
そう言って母の手を撫で 髪の毛を撫で
本当に愛おしそうに接して下さっていました
もうしゃべれない母ですが じっとその方を見つめ 私は見た事がない笑顔でその方を見つめていました
最後に親孝行が出来たかな?
私は自分にそう問いかけていました
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